2020.11.14 院長コラム
アンチ断捨離 100円でも100万円でも人間でも
私はものを捨てるのが苦手です。「断捨離」などという言葉がはやる昨今、古い人間なのかもしれません。
私は経済的に不自由なく育ちましたが、決して豪華でもなく、むしろ他の友人の家よりはかなり節約した生活を送っていたと思います。家族は子供の教育費や必要な出費には十二分の投資をしてくれましたが、その他のことには本当に質素だったと思います。親は商売をしていましたので、景気のよい時代も、最悪の時代も経験していて、サラリーマンと違って、いつも収入がある保証はありませんでした。それがおそらく質素な生活の根底にあったように思います。実際、私が医学部に学んでいたころは本当に経済的に大変だった時期もあったようです。
そのような環境で育ったためか、私は食べ物でも衣服でも日用品でも、ものを捨てるのが苦手です。お米は八十八の手間がかかっていると聞きましたが、たとえ百万円のものでも100円ショップの製品でも、機械が大量生産するものでも、多かれ少なかれ、直接または間接にいろいろな人の苦労が注ぎ込まれていると思っています。百万円のものは捨てがたく、100円のものは簡単に捨ててもよい、という考え方は理解できません。百万円のものでも100円のものでも同じように大切です。
今やなんでも使い捨ての時代です。ファーストフードの食器は使い捨て、車のパーツもへこんだら直さず部品を取り換えるだけ、その他の工業製品も壊れたら直すより買う方が高かったり、修理の方法が難しかったりします。 「買い換える方が安いから。」と皆が買い換えるのは、どこかで誰かがその代償を払っています。極端に安いものは極端に安い労働力で働かされた人がいるから存在するのですし、その材料を供給する人もまた極端に安い値段で買いたたかれているはずです。また、買い換えて捨てたものはゴミになるわけですが、ゴミは増える一方で、その多くは資源に再生されていないわけですから、最終的に石油資源その他の資源などは余計に捨てられていくわけです。その代償は我々の子孫が払うことになります。私は、遠くない未来に、「我々20-21世紀の人類は未来の子孫のための大切な資源を浪費し尽くした」と責められることになることは間違いないと考えています。
物の値段で捨てる捨てないを決めるとすると、たとえば人間も、働き盛りの人間と年寄りとで評価額が違って、やはり姥捨て山のようなこともありか??仕事に成功した人間と、不幸にしてそうではなかった人間の比較をするのか?これは極論かもしれませんが、なんでも使い捨ての時代になった昨今、人間さえも使い捨てになりつつあるでしょう?たとえば企業求人での非正規社員の増加などその典型的例です。昔は物を大切にするのと同様、社員も家族同様に一丸となったのが日本の企業でしたよね。
「物を大切にできない人間は、人も大切にできない」
と思います。
・・・・・りきんだことを書きましたが、本音で反省文も一つ「捨てるかどうか悩む以前に、本当に必要な物以外買うな!」これは自分自身に対する反省の言葉です・・・・
2014/05/14