2020.11.14 院長コラム
健康は幸せの道具の一つに過ぎない
医者は患者さんを治療します。患者さんを治療することに喜びを感じています。時にその視点がずれてしまい、治療行為という作業に喜びを感じて、治療に行き過ぎる者もいます。ただ、多くの医者は患者さん自身を治療することに喜びを感じています。喜びの原因は、みなさん各々が幸せを追求するための「一つの道具としての健康」を支えることができるかもしれないと思っているからです。 健康は健康のためにあるのではない、幸せを追求するための手段の一つにすぎないと私は思っています。ですから、人によってはある程度の健康を損なっても、幸せを手に入れられるならよいと、それをあえて修正する必要はないと思っています。たとえば高齢の方の喫煙、高齢の糖尿病の方の適度の飲酒等がわかりやすいでしょう。また、がんの末期の患者さんに禁煙を勧める方もいないでしょう。 ですから、やはり医療はデータだけではやれません。もちろん必ずデータは必要ですが。 一方、幸せを下支えするのが医療者の喜びとすると、いくら医療をがんばっても、他に重大な原因が人間の幸せを損なっていれば、それを無視して医療だけを行っても明らかに無力感を感じます。 たとえば戦争、たとえば家族の不和、たとえば経済的困窮・・・いろいろな原因が人を不幸にします。医者は人を不幸にする原因と向きあってゆく必要があります。ただし、どうしようもないことが多いわけですが。医者の中には政治家を志向するものもいますが、そういった意味で気持ちはわかるような気がします。私はそのような資質はないので、地道にやってゆきます。 |
2014年01月13日 |