2020.11.14 院長コラム
猜疑心の時代2
長年医者をやっていると、数十年前と比べて、猜疑心の時代が医療の世界にも濃い影を落としていることを毎日のように実感します。すなわち、患者さんたちの医者に対する信頼感が以前よりも非常に失われているということです。医者にとって患者さんとの信頼関係を築くことはきわめて大切な前提であり、それが崩れつつあるのです。昔よりおかしな医者が増えたというよりもこの現代の雰囲気が反映されているに過ぎません。むしろ、医療は以前よりもますます科学的に進化しつつあり、倫理的にもおかしな医療を許さないストイックな状況になりつつあります。 マスコミをたびたびにぎわす医療関連のトラブルは、過去にはもっともっと多かったはずです。今よりももっとルーズ(よく言えばおおらか)だったのですから。ただそれが事件としてマスコミに取り上げられなかっただけでしょう。 ある意味では前述のように、マスコミもまた自らの存在意義や自信の喪失と猜疑心にとらわれて活動をしているのです。マスコミのエネルギーをどのように発揮したらよいのか、どうあるべきか、そのような方向性が過去の自負や自信とともに失われているのです。筋を通すことが出来にくくなっているのです。 どの世界にもおかしな人間がいたり、人為的ミスがあったり、不可避的事故があったりします。医療の世界も同じであって、常に悪人がいて、失敗があって、不可避的事故があって、それを含めた人間の医療の営みがあったのです。しかも悪人はいつも悪人で善人は24時間善人というわけではありません。どんなに努力をしても失敗や邪心をゼロにすることは出来ません。それを乗り越えることが大切で、それが人間です。私や皆さんが完璧に理想的な生活を営まないのと同じです。 政治家にも一定の比率で悪事やミスがある、警察官にも悪事やミスがある、それと同様に魚屋さんにも洋服屋さんにも、板前さんにも、モデルさんにも、あらゆる仕事は人間の活動であり、悪事や間違いが含まれるのです。 現代の医療への期待感や不信感は、まるで“医療をコンピュータや機械がするべき“というような姿勢を求めているように感じます。人間性よりも寸分の狂いもない正確さを求めているように感じます。決してコンピュータやロボットではない若い医者たちは、その非人間的な活動への要求で押しつぶされそうになっていると感じます。 くどいようですが、これは医療者としての言い訳や弁護ではありません。医療は私の環境にある一例で、社会の多くの出来事が同じような状態になりつつあるのです。皆さんも感じておられることでしょう? 2009年06月07日 |