有名な話ではあるが、某国の軍隊で戦争中死にかけた兵士の体重を次々と測定したところ、わずかに死亡後の体重が減少していた。これが魂の重さだという解釈があった。 魂の有無、これは洋の東西を問わず、また宗教を問わず重要な問題である。魂という死の後に残るエネルギーがあるとしたら、天国や地獄、極楽や煉獄、来世などの次の世界の存在の可能性を否定できなくなるからである。逆に明らかに人間の知的活動が脳の電気活動のみで説明できるということになれば、魂や次の世界は肯定しにくくなる。 私も心臓の医者として多くの人間の死に直面してきた。そして患者の死に立ち会って、魂の存在を強く意識する瞬間がある。今まさに死に向かっている患者は、身体の活動性が低下し、膀胱や肛門の緊張度もなくなって尿や便の失禁状態となる。前後して体の筋肉や顔の筋肉も緩んでしまい、虚脱した顔貌になる。血流が低下して皮膚は青黒く変色してゆく。これらの変化は医学的にも大変納得が行く変化なのである。が、しかしだ、明らかにそれだけではない何かを感じるのだ。体が弛緩してゆくある時点を境に、「ああ、この人はたった今、人ではなく物になったのだ。」と強く感じさせる転換点を感じる。急性心不全などで急な死を迎えられた方も、慢性病でゆっくりとした死を迎えられた方も、その最後の瞬間は同じで、観察しているとどこかの時点で転換点を迎えるのである。非常に非科学的であり、また明快な説明はできない。顔貌や体全体の筋肉の弛緩がそのような印象を作り出すのか、理由は分からない。しかし、無宗教の私も、その瞬間には「もしかして魂はたった今までこの体に存在したのではなかろうか。 」と疑ってしまう。人間の遺伝子が全て解析された現在においても、いまだに魂の所在の有無は謎のままであり、おそらく今後もそうあり続けるだろう。「知らなくてもいい事実」というのがあるとしたら、魂の有無はそのひとつであろうと思っている。 |