私のかつて勤めていた病院はベッド数500床あまりの地方の中核病院でした。その病院では、毎日玄関で白衣の天使が患者さんを待っていました。白衣の天使は、年のころは70歳前後くらいの老看護婦です。少し曲がった腰のため前かがみになりながら、小さい体で広い外来ロビーを所狭しと歩き回っては、次々と患者さんに声をかけていました。赴任した頃は、なぜ彼女がいるのだろうと不思議に思いました。普通、病院の顔であるロビーでは若くて元気なスタッフが患者さんをお迎えするのが普通だと思っていたからです。もちろん受付嬢は若者なのですが、Tさんは例外です。また、仕事も例外的でした。普通、看護婦さんといえば注射をしたり、診察や検査の補助をしたり、入院患者さんのお世話をしたりといった仕事を連想します。しかしTさんはいわば遊撃軍です。彼女の仕事は病院を訪れた人々の相談役のような、一言では説明できない仕事をされていました。 そんな仕事は事務員に任せておけばいいのではないか、と最初は思いました。しかし、事務員どころか一般の看護婦にも医者にも決してできない仕事をされていたのです。Tさんは、言葉を発しなくても人の表情や動きから、相手に何かが必要なのだということをかぎ分ける嗅覚を持っていました。広い外来ロビーを頻繁に行き来する彼女は、しばしば立ち止まっては患者さんをしかるべきところへ案内し、どの科を受診したらよいのかをアドバイスし、特に具合の悪い患者さんは早めに診てもらうよう依頼をし、と外来の開いている間は動きが止まることはありませんでした。 Tさんの特殊能力はそれだけではありませんでした。彼女がしわしわの顔に笑顔をたたえると、みんなが幸せな気持ちになるのです。もしかすると彼女は人々が笑顔を必要とするタイミングさえも嗅ぎ分けていたのかもしれません。彼女は見た目同様、とても腰の低い方でしたが、患者さんだけではなく職員の誰もが彼女には一目置いていました。自分が同じ仕事をしても決してそのようなレベルの仕事をできないであろうと皆わかっていたからです。 ある日突然Tさんは病院の外来から姿を消しました。腰痛がつらく退職されたとのことでした。その後Tさんのかわりに看護婦長さんたちが交代で外来に立ちましたが、決してTさんの仕事に追いつくことはできませんでした。彼女の仕事ぶりはみんなの記憶の片隅に追いやられましたが、決して忘れられません。 昨年のクリスマスの日、札幌駅で切符を買うのに手間取っていたところ、赤いコートに身を包んだ若いお嬢さんが「お手伝いしましょうか。」と声をかけてくれました。神経を逆撫でするような駅の雑踏と喧騒の中で、私は心から救われた思いがしました。よく見るとそのお嬢さんはJRの職員です。ああ、JRもいい仕事を始めたのだなあ、と感心すると同時に、Tさんのことを思い出しました。Tさんはどんなにたくさんの患者さんにこの安堵感を与えていたのでしょう。治療をする立場の私は、果たしてTさんに恥じない程度に患者さんに安心感を与えることができたのだろうか?と自問することがあります。Tさんの仕事は何を作り出すわけでもなく、なんらお金を生むわけでもありませんでしたが、物にも金にも代えられない仕事をされていたのです。 2006年05月01日
|