2020.11.14 院長コラム
日本を支えてきた人々
私のクリニックのエントランスの床は、なかなか凍結せずしかもクッションの利いた、見た目にもなかなかきれいなゴム製の床張りを使用しています。もしも皆さん私のクリニックを訪れていただくことがありましたら、入り口に入るときこれからご紹介する制作者のことを思いだしてください。 その床素材は日本製鋼所の一部門で制作された古タイヤを再生したゴム製のブロックです。これを使用するに至った経緯をお話ししたいと思います。 その前に日本製鋼所の歴史を簡単にご紹介します。日本製鋼所は明治時代に政府のてこ入れの下に半官半民で操業を開始しました。その本体は優秀な港を持つ室蘭市にあります。以降、鉄道、航空機、造船など国家的規模の重工業の一翼を担ってきました。時には戦争に伴って軍艦や戦車などの武器を作ったこともあります。また、そのために室蘭市は戦争中強烈な砲撃を受け、多くの人命や建物が失われています。私は大学病院からかつて日本製鋼所の病院であった日鋼記念病院(現在は医療法人)に派遣され、心臓の医者として仕事をさせていただいていました。初めて日本製鋼所を見たとき、広大な土地の広さと建物の大きさに圧倒されましたが、同時にとても懐かしいノスタルジアを感じずにいられませんでした。私たちが子供の頃工場の絵を描くとき、何故か屋根が鋸の歯のように小さな屋根が連なってぎざぎざした屋根の形をした建物を描くことが多かったのです。その原型のイメージがどこから来たのか、すでに私自身も思い出すことはできませんが、少なくとも工場の代表選手のような鋸屋根の工場がそこには連立していたのです。 そのような懐かしい工場群と広い道路を挟んで、日鋼記念病院が立っていました。そしてその病院の広いエントランスの一部がゴムタイルでできていたのです。その部分は常に風雪にさらされていたにもかかわらず、ほとんど凍り付くことはありませんでしたし、そのために患者さんが滑って転ぶ危険が少なかったのです。しかも小さな単位のブロックが集合しておもしろい模様を表現していました。是非これを私のクリニックに使用したいと同院の設備課に相談したところ、日本製鋼所の担当を紹介してくれました。 日本製鋼所の販売担当の方は早速私のもとを訪問して資料とサンプルを渡してくれただけではなく、 「先生、せっかく近くで作っているのだから、工場をご案内しましょう。」と、その日のうちに工場へ案内してくれたのでした。 担当の方の車で日本製鋼所の門をくぐると、巨大な工場群が乱立し、その間に道路や線路が走っています。そしてその遙か向こうには港が作られ、運搬用の大きな船やタンカーが接岸しています。事務所もあれば商店もあります。郵便局や銀行の代理店もあるようです。それはまさしく一つの町でした。 遠くから見るとぎざぎざ屋根の懐かしい工場も、近くから見上げると、想像を遙かに上回る巨大な建物です。一つの建物の長さは最長400メートル、高さは最大60メートルだそうです。巨大なウナギの寝床のような工場の一角に、その製作所はありました。 「こんにちは、よろしくお願いします。」 と中に案内されましたが、内部は3-4階の高さまで一つに作られて二階も三階もない、とんでもなく高い三角天井を見上げる広い空間です。その中に遠くに大きなクレーンのような機械がつるされて動いています。入り口の付近は、大きなプレス機が一台、そして数メートル四方のアルミ製のブロックの型がたくさん並んでいます。5-6名の工員さんが作業台の上でアルミ製の型に、タイヤを細かく切ったものに糊を混ぜて砂利状にした素材をこてを使って流し込んでいます。それは全て人の手で行われており、最後に型をプレス機にかけると、ブロックが圧縮されてできあがりです。 お気づきのことと思いますが、日本の重工業を大きくリードしてきたこの日本製鋼所という巨大工場は、決して大きな単一の企業なのではなくて、時には小さな町工場のような製作所や中小企業の集合体なのです。しかも最先端の技術を駆使して来た彼らの仕事は以外とこつこつと手仕事だったりする。この企業に、私は強く魅了されました。結局巨大な仕事も小さな人間一人一人の手や頭で作られてゆくのだという事実は、我々を勇気づけます。一人は小さいかもしれないが、その小さな一人がいないと大きな仕事は出来上がらないのです。 日頃、病院でお年寄りの患者さんを見ていますと、どなたもお年には勝てず、いつかは歩くことができなくなったり、うまく意志を伝えられなくなったり、時にはひどい痴呆状態になったりしてゆきます。彼らの一人一人は自分自身の未来そのものです。とても小さな存在に思えますが、実は彼らはそれぞれ大きな日本という国の一部をうごかしてきたわけです。大きな商売をしてきた方も、政治家をしてきた方も、主婦をしてきた方も、運転手をしてきた方も、また室蘭の多くの男性のように工員をしてきた方もいますが、どの方も大きな日本の長い歴史の上では小さな存在にすぎず、また同時に同じように重要な歴史の一片を担って生きてきた方たちです。小さくて軽いお年寄りの背中にそのような歴史を背負っているのを感じます。 2006年01月01日 |