医者は理系と文系との間に位置する人間であると思っています。医学は技術であり、哲学でもある。どちらが欠けても医者ではありません。技術と知識は車のエンジン、哲学はそれを操舵するハンドルです。エンジンがどんなに排気量が大きく力があっても、うまく操縦できないとどこかにぶつかって事故を起こします。しかもエンジンの力が強いほど大きな事故につながります。逆に操舵がどんなにうまくても行きたいところに車を持って行くためのエンジンが頑張らないと目的地へは着けません。 これは実はあらゆる仕事に通じるものでしょう。どんな技術者も極めるとその技術の意味を、あるいはその技術を駆使する我が身のこの世での位置というか、ありようを考えざるを得なくなってゆく。PHP研究所を作った松下幸之助氏もそのいい例でしょう。また逆に、哲学は実は生き方を研究する学問というよりも物事のありようを研究する学問であり、自然のありよう、社会のありよう、そして自分を含めた人間のありようを見極める方法であります。従って自分を、人間を知るためには勉強と知識の集積が必要です。哲学を極めようとすると、ただ人の心の動きを想像するだけでなく、それに影響を与えるすべての自然法則すなわち科学を学ばざるを得なくなるのです。人間の遺伝子解析を完結させた研究者達は、遺伝子の情報を用いて技術者として病気の治療に利用できるようになりました。しかし遺伝子治療が果たして妥当なのかどうか、あるいは遺伝子で説明される人間が、遺伝子だけの存在なのか、それを上回る存在なのか、研究者たちはさまざまの哲学的な自問をすることになるでしょう。 医学の知識がどんどん膨大にふくらみつつある現在、特に勤務医はどんどん狭く深い知識・技術を持った専門家=技術者になりつつあります。最近まで私もその末席にいたわけです。狭い知識の迷路を右へ左へ歩んでいるうちに果たして自分が北を向いているのか南を向いているのか方向感覚が失われてゆく。こんな事態にならないよう、私たちは注意が必要です。 2006年04月01日
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